大人への道


大人は判ってくれない
子供の頃は大人に憧れた。厳しく、力強く、優しい大人になりたいと思った。

もう大人と呼ばれる歳になってしまったが、まだまだ未熟である。小さい時に憧れた大人へは遙かに遠い。

ところが「大人」と単独で使えば良いが、大人のナントカとなると途端にイカガワシイ響きをまとう。

大人の付き合い。大人のおもちゃ。最近は「大人の対応」という言葉のいやらしさを覚えた。


上原代理人 対応次第では法的措置(スポーツニッポン)

 上原の契約更改交渉から一夜明けたこの日、代理人を務めた加藤弁護士は「読売ジャイアンツ上原浩治選手の代理人交渉について」と題した文書を報道機関各社に送付。その中で、27日に三山代表が行った発言に対する反論を展開し「私は、読売ジャイアンツおよび同三山代表に対して、当職に対する名誉毀(き)損に関する警告書を送付し、その対応如何(いかん)では法的措置を取ることを検討することといたしました」と強い遺憾の意を示した。同弁護士が問題視した三山代表の発言は大きく分けて以下の3点だ。

 (1)「手続きに瑕疵(かし)があるので、これは代理人交渉ではない」

 (2)「加藤弁護士もそれを分かっていて、大人の対応をしてくれた。1回目にお会いしたときに着地点は合意していた」

 (3)「双方が知恵を出してこうした大人の対応になった」

...

加えてあたかも加藤弁護士と球団側が「アドバイザー」という位置づけで合意していたとも受け取れる(3)については意図的な"談合"がなかったことを強調。「何をもって"大人の対応"と述べているのか全く理解に苦しむところ」と断じた。


この「大人の対応」という言葉はあまりにも曖昧であり、状況を曖昧なままに置くことで得をすると思っているのだろう。

推測するに、ここでの「大人の対応」とは「交渉時に相手の立場を尊重して決着点を探ること」であろう。一方的に自分側の利益を追求するのでなく、双方がメリットを享受できるよう譲り合って妥協点を合意することは、尊敬できる大人の行動である。

だが、「談合」とも取られる表現を外部に対して公表したことは、まともな大人の行動とは言えない

見た目は大人。中身は子供。それってダメ人間じゃん。

使っている言葉が曖昧な時は外国語にしてみることで明確になる。

明治の文筆家である二葉亭四迷は、小説をいったんロシア語に翻訳し、再度日本語に翻訳することで言文一致体を作り上げ、近代人の苦悩を表現することに成功したそうである。

では「大人の対応」を英語にしてみよう。

インターネット上に翻訳サイトはいっぱいあるが、単純に辞書を引いてくれる程度であり、結果を見ても全然意味が通らない。「Correspondence of an adult」とか。

僕がよく使わせてもらっているのは、アルク英辞郎だ。早速翻訳してもらう。

「該当するエントリーは見つかりませんでした。」

やっぱり曖昧すぎるのだろうな。「対応」で引いてみて一覧の中で、意味が通っていて一番ニュアンスが近い結果をピックアップしてみる。


建設的な対応:constructive response

現実的な対応:realistic approach

柔軟な対応:flexible response

ってなところでしょうか。

「柔軟な対応」には少しいやらしさを感じるが、「建設的な対応」「現実的な対応」には清々しい語感がある。

日本語が曖昧なのではなく、使っている人が曖昧なのだ。