掘るまいか 手掘り中山隧道の記録
近くの喫茶店で「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」の上映会があったので行ってきました。
この4月で長岡市に合併した山古志村の山村で、集落の住民が力を合わせて手掘りでトンネルを掘った記録映画です。
昭和8年から、戦争激化に伴って4年間の中断を挟んで、16年間掛けて昭和24年に開通しました。
屋根に積もった雪を数日おきに降ろしているお爺さんに「大変ですね」と声を掛けたところ、『だってこの土地に生まれたんだからしょうがない』との返答だったのが印象に残ってます。
地図を見ると、周りにはな〜んにもありません。ものすごい田舎です。僕も田舎に住んでいるのですが、それでも車で5分程度のところにコンビニがありますし、新幹線を使えばものの2時間で東京駅に着きます。こちらにお住まいの方にすれば、僕が田舎暮らしの不便さを訴えるのはおこがましいです。
なぜこんなに苦労してまでトンネルを掘ったのでしょうか。それは、雪に閉ざされた冬期間、医者へ診せることができずに死んでしまうほど、不便な地域をなんとか改善したいと希求したことから始まっています。トンネルを掘ることは、地域を存続させるため、已むを得ないことだったのです。地域が存続できなくなってしまうと、自らが生きていたことが後世に無くなってしまうという恐れがあるのではないでしょうか。
しかし、地域を維持するために、こうして多大な苦難を払ったのですが、昭和20年頃は54軒あった世帯が現在では26軒に減ってしまっています。
まして、撮影された旧山古志村は、昨年10月の新潟県中越震災によって、甚大な被害を受けて、全戸が避難所生活を送っています。
映画で撮影された美しい棚田も崩れてしまっているのでしょうか。
それでも『ここに生まれたんだからしょうがない』と、地域の復興に向けて進もうとしている方々を見聞きすると、経済合理性という言葉が、現実と乖離した、うすっぺらい言葉に聞こえます。
さて、知り合いの米屋さんによると、昨年の米は収穫できたのですが、今年は山古志で作付けできるかの目処すら立っていないとのことです。
この時期にその状況ということは、今年の農業は無理ということです。
外国へODA支援する資金があるなら、自然災害によって被災した国内への支援をもう少し厚くするべきなのではないでしょうか。
安全保障を経済力によって確保している、そもそも困窮のレベルが違う、貧困を解消することによって地域紛争を防止しているということは理解しているのですが、身近な問題をないがしろにして、現実感のないことへ支出することについては、税金を預けている立場としては、ものすごく違和感を感じます。
映画自体はとても良かったです。集落を2分して、掘るか掘らないかの争いがありました。その後、和解して一丸となって掘削に励み、長年の苦労の後に開通した時の喜びは、60年近く経った今でも、良く覚えているそうです。
各地で上映会を開いていますので、機会があればぜひご覧下さい。