火災出動の思い出
小一時間掛けて住んでいる町の南半分を車で廻って火災予防PRのテープを流します。
消防団に入ると制服が支給されます。アポロキャップもあり英語では「Fire Volunteer Club」と書かれています。
ボランティアということですが僅かな手当が支給されます。これも税金です。
一度だけですが、実際の火災現場に出動したことがあります。
去年の5月のことです。前日徹夜してお客さまと打合せするための資料を作成し、そのまま埼玉へ出張しました。
一日フルに打ち合わせして最終の新幹線でクタクタに疲れて帰ってきました。自宅についたのは0時を廻っています。この時点で40時間ぐらいほとんど寝ていません。
風呂に入って寝ようとしたところでサイレンが鳴りました。火災です。防災無線から出動せよと要請がありました。自宅に居ますので行かないわけにはいきません。
野次馬ではなく消防団であることをアピールしないといけないので、制服に着替えて火災現場へ駆け付けます。
現場に到着したら一軒の家が燃え上がっていました。小火(ぼや)ではなく、火災です。
ところが近くに消火栓がありません。燃えている家のすぐ隣に消火栓があるので使えません。
ずっと離れたところからホースを引っ張ってきて給水して消火します。
1時間ぐらいかけてようやく消火しました。でもまだ家の内部では火がくすぶっています。鳶口で煙が立ち上っているところを崩して水を掛けないといけません。
5月と言っても深夜は寒く、消火現場用の銀服をはおっていたため、鳶口の役を命じられました。フラフラになりながら鳶口を持って消火作業をします。
解散になったのは4時を廻っていました。
自宅に帰って凍えた体を風呂で温めました。眠いのですが寝る前にやることがあります。勤務先のノーツサーバーに接続して、午前中は休むとデータベースに登録します。
安心して家族が寝ている隣の布団にもぐり込みます。45時間ぶりの睡眠でした。
後日聴いたのですが、この火災は放火でした。しばらく現場近くの家で小火が続いていたのですが、火を付けていたのは火災があった家の女子中学生だったそうです。
この火災でその家のお爺さんは亡くなってしまいました。僕が鳶口を振るっていた場所の近くに焼死体があったそうです。
なぜ女の子が放火していたのか、なぜ自宅が火事になったのか、なぜお爺さんは焼死したのか、詳しいことは分かりません。
どんな事情が彼女にあったか僕には分かりませんが、その闇と共存することができなかったのでしょう。
人は誰でも闇を抱えて、正面で向き合うには辛い複雑な現実に立ち向かわないといけません。
まだ施設に入っていると聞く彼女は、これからより厳しい現実に直面するでしょう。
いつか彼女にも贖罪の機会が来ることを願っています。