変身


変身
フランツ・カフカは、1883年(明治16年)生まれ。1924年(大正13年)41歳で結核のため死去しました。



「変身」は人間存在の不条理を主題としたカフカの代表作です。


『ある朝、グレーゴル・ザムザが何か気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。』

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どうやら描写からすると、ムカデなどの多足動物のようです。

それまで腕利きの外交販売員として、破産した一家の大黒柱であったグレーゴルですが、虫となってからは一転して穀潰しの厄介者になります。

発音ができないため、家族と会話することもできず、気味の悪い外見のため最愛の妹からも冷たく扱われます。

悲惨なことに、人間の会話は聞き取れて理解できるのです。


この歳になってから初めて読んだのですが、大学生の時に読まなくて良かったと思います。

きっと深く引きずり込まれてしまったでしょう。


グレーゴルは段々と外見に相応しく、人外のものになっていきます。


ことに天井にへばりついているのは気持ちが良かった。床の上に這いつくばっているのとはよほど趣がちがう。息も楽にできるし、軽い振動が体じゅうに伝わる。グレーゴルは天井にへばりついていて、ほとんど幸福と言ってもいいほどの放心状態におちいり、不覚にも足を離して床の上へばたんと落ちて、われながらそれに驚くこともよくあった。


ふと姿を現してしまったため、母が気を失い、ちょうど帰宅した老父は『憤慨と喜悦をつき混ぜたような』「そうか」という声をあげて、グレーゴルに林檎を投げつけます。

背中にめり込んだ林檎のためグレーゴルは、這いずり回ることすらできなくなってしまいます。

徐々に食欲も失って衰弱していくグレーゴルですが、家計のために部屋を貸していた下宿人の前に現れてしまったため、家族から見放されてしまいます。


「あたし、このけだものの前でお兄さんの名なんか口にしたくないの。ですからただこう言うの、あたしたちはこれを振り離す算段をつけなくっちゃだめです。これの面倒を見て、これを我慢するためには、人間としてできるかぎりのことをやってきたじゃないの。だれもこれっぽっちもあたしたちをそのことで非難できないと思うわ。ぜったいに、よ」

...

「こいつにわしたちのことがわかってくれたら」と父親はくりかえし、目を閉じることによって、そんなことはありえないという娘の確信をわが身に納得させた。

...

「これがお兄さんのグレーゴルだなんていつまでも考えていらっしゃるからいけないのよ。あたちたちがいつまでもそんなふうに信じこんできたってことが、本当はあたしたちの不幸だったんだわ。だっていったいどうしてこれがグレーゴルだというの。もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないということくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出て行ってしまったわ..」


気の毒なグレーゴル。もはや家族はグレーゴルのことを家族として見ていないのです。

その夜、グレーゴルはひとり孤独に息を引き取ります。

『感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえす。自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっと強いものだった。』

最後に、娘がいつのまにか美しく成長していたことに気付いた父母は、将来の希望を見いだします。

それは兄の死によって解放されたものでした。


カフカは、自分の人生を支配していた父との相克がありました。

38歳の時、弟のように可愛がっていた18歳の青年がいたのですが、彼が後に記録を残しています。


その男は非常に大きな声で叫んだ。「フランツ、お帰り。空気が湿っぽいぞ。」

カフカは奇妙に低い声でいった。「親父です。僕のことを心配してくれているのです。愛情はよく権力の顔をしているものです。」


母親も支配していた父からカフカを庇うのではなく、父の方に立っていたようです。

こうしたことから、家族に対する醒めた視点があるのでしょうか。



年譜に『1912年 29歳 最初の恋人、フェリーツェ・バウアーと出会う。』とあります。

29歳で最初の恋人ってはどうなんでしょう。やはり相当の変人であったようです。


「変身」については、老人介護の話として捉えることもできます。

ついこの間まで、みんなに愛されるおじいちゃん、おばあちゃんが呆け始めると、当初は親身に面倒を見てもらえるのですが、長くなると家族ですら疲弊してしまいます。

やがて厄介者となり、老人ホームに送られたり、老人病院に入院させられたりします。

僕の祖母もそうでした。僕が結婚した頃から呆けが始まりました。

当初は失禁したり脱糞したりするのを、恥ずかしそうに自分で始末していたのですが、そのうち構わなくなってしまいました。

ひ孫にあたる僕の娘が生まれ、妻が実家から帰ってきた頃は、まだ赤ん坊の面倒を見ることができたのですが、ある日、大きな声で泣いているので行ってみると、祖母は泣いているのをニコニコして見ているだけなのです。

あ、もうダメなんだ。と実感しました。

それから間もなく、祖母は老人病院に入院し、そのまま息を引き取りました。

家族で呆けた老人の世話をしている方は、グレーゴルの面倒を見ている妹のような心境だと思います。