ジーキル博士とハイド氏
「宝島」と並んでスティーヴンソンの文名を不朽にした名作です。
多重人格をテーマにしているため、精神分析の題材としても興味深く読めます。
世間の尊敬を集めるジーキル博士の周辺に下劣なハイド氏が出没します。
友人でもある弁護士はハイド氏の正体を探りますが、なぜかジーキル博士はハイド氏を庇います。
ハイド氏はジーキル博士の持つ恥ずべき面だけを表にしたものでした。
実はハイド氏はジーキル博士の変身した姿だったのです。
誰にでも闇の部分はあります。しかし多くの人は闇を人目に付かないところに隠しておきます。
ハイド氏という闇を具現化することによって、ジーキル博士は平衡を崩していきます。
もしこんなことがこのまま長くつづいて行くと、わたしの本性の均衡は永久に破れてしまい、やがては−自由自在に変身する力も失われて、エドワード・ハイドの性格が自分の性格となりおわって、ついにはとりかえしのつかない羽目に陥りそうな危険をわたしは、うすうす感じはじめていた。
すなわち、わたしは次第々々にわたし本来の善なる自己を喪失し、次第々々にわたしの第二の悪なる自己に合体しつつあるということだ。
人は闇を抱きながら生きていくものですが、闇は闇のままにしておかないと破滅してしまうのです。
闇を隠して生きることで、陰影が出るのでしょう。それによって人は深みを獲得するのですが、それは望んだものではないと思います。
さて、スティーヴンソンを題材とした小説として、中島敦の「光と風と夢」という作品があります。
夭折した中島敦ですが、本作は芥川賞候補になっています。
内容はポリネシアで尊敬を集めていた晩年を中心にして書かれています。スティーヴンソンと中島敦は同じ宿痾の結核に冒されており、「光と風と夢」では、作者と主人公が分離できないほど一体化しています。
晩年にはすでに文名を成していたスティーヴンソンに憧れる中島敦は、読者の深い同情を誘います。
短編「李陵」「山月記」より、ちょっと長いですが、良い作品です。