幕末、越後長岡藩の家老として活躍した河井継之介を主人公とする、司馬遼太郎の長編小説。



冒頭、雪から庭木や建物、塀を守るための冬囲い作業で賑やぐ、城下町長岡の描写から始まる。


継之介は町をあるいていた。

(北国は損だ)

と思う。損である。冬も陽ざしの明るい西国ならばこういうむだな働きや費えは要らないであろう。北国では町中こうまで働いても、たかが雪をよけるだけのことであり、それによって一文の得にもならない。


峠 (上巻)
しかしそれでも冬囲いに勤しむ、鈍重で生真面目な同郷人のことを、継之介は蔑むことはない。

各地の師に学び、志士と交わり、人物として一目置かれるが、下級武士に生まれ藩政で活躍の場が与えられるとは限らない長岡に帰ってきて、行政と政治に深く関わっていく。


江戸で福沢諭吉と親しくなり、諭吉は日本の今後の国体がどうあるべきと考えるかと問うが、継之介はその議論には加わらないと返答する。


「...この一天下をどうするかという議論は、他の志士にまかせたい。私には越後長岡藩の家老であることのほうが重く、それがこの河井継之介のすべてなのです。それ以外にこの地上に河井は存在せぬ」


僕は長岡近郊で育ち、長岡の高校を出て、東京で学び、地元に帰ってきたので、非常に身につまされるものがある。



長岡弁があちこちに出てきて、その都度解説が入るが、解説が無くても意味は分かるので可笑しかった。



何よりも実行を重んじる陽明学を信奉する継之介の言動には迷いはない。

継之介は自らを長岡藩士と位置付け、その中で懸命に自ら考え抜いた未来を実現しようとする。



しかし、激動の幕末維新の中で、継之介の理想を実現するためには、越後は地理的条件が悪く、長岡藩は小藩に過ぎなかった。

薩長などの西国の藩が仕掛けた戊辰戦争の中で、継之介は夢破れ命を落とすことになる。


さて、長岡の幕末史の中で蒼龍河井継之介と対比されるのが病翁小林虎三郎だ。

佐久間象山門下で朱子学を学び、継之介と思想面で対立することになる。

虎三郎は、山本有三の戯曲「米百俵」で有名であり、長岡にあるコンベンションセンターの屋外には、彫刻「米百俵の群像」が置かれている。



しかし、地元経済人で評価が高いのは、継之介でも虎三郎でもなく、三島億二郎だ。

産業振興に努め、学校、病院、銀行を創立し、戊辰戦争で廃墟となった長岡の復興に尽力した。

信濃川の土手には、三島億次郎の銅像が建ち、今でも長岡市街を遠くから見守っている。


2005年12月27日に日本テレビ系列で「河井継之助 〜駆け抜けた蒼龍〜」と題して継之介を主人公としたドラマがある。放送は21:00〜23:24。



ぜひご覧あれ。