Finding Nemo


ファインディング・ニモ
下の娘(8歳)と「ファインディング・ニモ」を見てきました。

マーリンとコーラルは新婚のクマノミの夫婦です。眺めの良いイソギンチャクの中に新居を構え、たくさんの卵を産み、まもなくいっぱいの子供が孵ろうとしています。

ところが突然バラクーダが襲ってきます。卵を庇おうとして飛び出したコーラルを見て、たまらずマーリンもバラクーダに立ち向かいますが、はじき飛ばされてしまいます。

マーリンが気づいた時は、コーラルの姿は見えず、卵も全部無くなってしまっています。

たった一つ残った卵にマーリンは「ニモ」と名付けます。

ニモはマーリンに溺愛されて過保護に育ちます。ニモは卵の頃に傷つけられたせいか、片方の胸びれが小さく上手く泳ぐことができません。

大切なニモが人間に捕まってしまい、マーリンは必死に探します。途中出会った忘れっぽいナンヨウハギのメス魚のドリーと様々な苦難を乗り越え、色々な海の仲間の助けを借りながら探索の旅を続けます。

このドリーが良かったです。慎重に見えてただの小心者のマーリンですが、三歩歩くと忘れてしまうおっちょこちょいだけど、色んな海の生物に気軽に話しかけて助けられるドリーのお陰でニモを探し続けることができます。

ニモは水槽の中で飼われてしまうのですが、同じ水槽の仲間と逃げだそうとします。失敗して落ち込んでいる時にパパがニモを探して旅をしていると教えられ、勇気を奮い起こします。

パパはニモを探し当てることができるのでしょうか。ニモはパパのもとに帰ることができるのでしょうか。


さすがPixarミッキーマウス保護法を進めるディズニーにしてはパクリがなくオリジナリティが感じられる。

だけどなぜニモは片方の胸びれが小さい障害者である必要があったのだろう。なぜドリーは女性なんだろう。

捕食者であるホオジロザメのブルースは「魚は友達」をスローガンにして断食しているのだろう。

そして人間は魚を捕まえたり、虐めたり、食べたりする悪役なのだろう。

政治的に正しい表現にこだわるあまりに、現実の厳しさから目を背けているだけではないのか。

最初にコーラルがいなくなってしまうシーンが良かっただけに、付け加えているようにしか感じられない政治的な正しさは不要だと思う。

人生の複雑さを避ける作品は皮相的であり、一時の楽しさ以上のものはない。

早くPixarディズニーとの連携を解消して辛口のアニメを作ってくれることを期待します。