「塞の神」開催


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昨日、2/1は子供会の塞の神がありました。

適当に雪が降り、会場となる農道にも雪が積もっています。好天にも恵まれ外に出るのが気持ちいいです。

終わってから公民館で父母と子供で慰労会をやりました。

そこですっかり飲んだくれてしまったため、エントリできませんでした。



先日意外とGoogleで上位に来ているとエントリしましたが「塞の神」でググッて見ても上位に来てしまっています。5位です。

ちょっと真面目にエントリします。


塞の神を作るためには以下の手順で作成します。



【準備】

農作業が一段落した秋口に集まって、次のように事前準備します。

竹林より太い竹を切ってきて6mぐらい長さにします。葉の部分も大切に取っておきます。

河原に行って大人の背より高い茅(かや)を切ってきます。だいたい軽トラックの荷台いっぱいに2台分を用意します。

乾燥した藁(わら)を元にトバをかきます。8mを4本、4mを2本ぐらいです。



【設営】

通常は旧正月におこなう地域が多いのですが、こちらでは旧正月は嫁の実家へ行きますので、2月の第一日曜におこないます。

経験上、この時期の方が積雪があって天気も良く、今年のように格好の日取りになることが多いです。

当日朝から集まって設営します。寒いので冷や酒を引っかけてからやります。

太い鉄棒で作ってある三つ又を立てて土台にします。

長い竹の先に当日取ってきた杉の葉を付けて中心に立て、周りに竹を斜めに立てかけて枠組みとします。

作成した枠組みの中には、乾燥した藁、豆殻(まめがら)を詰めます。

外側には茅を立てかけて形作ります。

きれいな三角錐(さんかくすい)ができたら周りにトバを巻いていきます。

補強のためトバの上に藁縄を巻いて縛り付けて完成です。



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【点火】

点火の直前となると近所の人が集まってきます。

昨年一年使用した注連縄(しめなわ)や正月の書き初めを持ってきて、塞の神の中に入れます。

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時間になると、小学校5、6年生が周囲に点火します。

火勢が盛んになると、中に仕込んだ豆殻がパチパチと音を立てて燃えます。

やがて竹が破裂し始めてボンボンと派手な音がします。

少し火が落ち着いてくると、長い棒の先に付けた針金で吊したスルメを焼きます。

この火で焼いたスルメを食べると一年間無病息災で過ごせるそうです。



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【後始末】

延べ10人日掛けて準備した塞の神ですが、わずか10分程度で燃えてしまいます。

火が収まっても竹は焼け残っています。長い火掻き棒を使って倒し、残り火にくべて完全燃焼させます。子供の頃の火遊びを思い出します。

一段落したら慰労会です。


塞の神」って何?という疑問に答えるために検索してみました。


祭辞典 − 障の神・塞の神・道祖神(さうのかみ)

伊弉諾尊伊弉冉尊を黄泉の国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女をさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神。 邪霊の侵入を防ぐ神。行路の安全を守る神。村境などに置かれ、近世にはその形から良縁・出産・夫婦円満の神ともなった。


なるほど。ということは「賽の神」ってのは誤字ですね。

ではなぜ火をつけて焼くのでしょう?


道祖神について

年の初めに行われるどんど焼きという行事がありますが、昔はその火の中に塞の神を入れていたそうです。そのため、塞の神は破損がひどくなっていくわけですが、なぜそんなことをしたのでしょうか。

それは、人々に替わって災いを火の中で焼いてくれるから出そうです。年の暮れ、疫病神が集落を回ってきて、災いをかける人の名を書いた帳面を道祖神に預けるそうです。取りに来るのは、年が明けて数日した頃…。そこで道祖神様は、疫病神が来る前にあえて火の中に入ってその帳面を焼き、人々を災いから守るのだそうです。


ということは、道祖神を中に入れて焼くのが本来なのですね。僕の住んでいるところは、江戸中期に干拓されたところなので、せいぜい300年ぐらいの歴史しかありません。そんなに古いものはありませんので、残念ながら道祖神は置いていません。

年々子供が少なくなっていき、いつまで続けられるか分かりませんが、やれる限りは続けていきます。