学問のすゝめ
天保五年(1835年)生まれ
安政五年(1858年)数え年25歳の時、江戸に出て後の慶應義塾となる塾を中津藩邸内に開く
明治維新(1868年)35歳
明治五年〜九年(1872〜1876年)学問のすゝめ刊行
明治三十四年(1901年)数え年68歳で死去
『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。』の出だしが人口に膾炙している本である。
題名と書き出しが著名であるため、平等主義を主張し学究生活を勧めているかのように誤解されているが、ちょっと違う。
まず、結果平等じゃなくて機会均等を言っているだけ。
また、福沢諭吉オリジナルでなく外国の啓蒙書の翻訳部分が相当ある。そもそも『天は人の上に人を造らず..』からしてアメリカ独立宣言の一節を意訳したものである。『..と言えり。』ってのは引用であるということ。
文明開化したばかりの日本人に対しての啓蒙書であり、自由主義、民主主義、当時の青年層や新興階級に対しての理論武装する材料を提供していると考える。
元は一冊の本ではなく、5年にわたって17編の小冊子として出版されている。
なるほどと共感する箇所があちこちにあり、同じことの繰り返しが多い。現在でいうハウツー本か。
100年以上たった今でも読まれていると知った諭吉は『君達はまだそんな本を読んでいるのか』と嘆くかも知れない。
本書は学問一般をすゝめているわけではなく、その中でも実学のみを勧めており、当代の儒学者をボロクソに貶している。
『そこで今は、そんな暇つぶしの学問は棚上げして、まず勉強しなければならぬのは、万人に共通の、日常生活に密接な「実学」である。』
『読書は学問の手段であり、学問は実行の手段である。実地を踏んで経験を積むのでなければ、決して勇気が生まれるわけはない。』
明治維新直後の日本は弱小国であった。いつ外国の植民地になるか戦々恐々としていた。
学問のすゝめには、福沢諭吉の愛国心が根底にある。
日本も西洋諸国も同じ天地間の存在である。
ともに相手の便利をはかり、ともに幸福を願う。平等の天理に従い、相愛の人道に則って、相互親善の関係を結ぶのが当然ではないか。万が一国家が恥辱をこうむるような非常時には、日本国中の人民が、ひとり残らず命を捨てても自国の名誉を全うしてこそ、一国の独立を自由が存するというべきである。
また、福沢は役人嫌いであった
『法令を作って人民を保護するのは、政府本来の仕事で、当然の職責ではないか。特に御恩などという筋合いはない。』
『役人たちは、個人としてはあっぱれ有識有能の士でありながら、役目の上では、まことにつまらぬことしかやらない。ひとりびとりを離しておけば、皆賢明な人材だが、これを政府に集めてみると、たちまち暗愚な凡物になってしまう。』
『およそ民間の事業の十中七八までは、政府の関係せぬものはない。だから、世間の人心は、ますますこの風潮に従って政府にすがり、政府を頼み、政府を恐れ、政府にへつらい、少しも独立自尊の勇気を発揮する者がない。』
今日でも明治維新直後と傾向は変わっていない。
トラブルがあると役所に持ち込む。「税金を払っているんだからなんとかしてよ。」
日本の役人は真面目だから、言われたことをやろうとして高コスト体質となっている。でもスズメバチ退治は役人の仕事じゃないよ。自分でやれ。
ここでも80−20の法則が適用されるような気がする。つまり、全体の20%の市民が80%の予算を使っているんじゃないかな。
政府役人を糾弾する論旨が続く。
『政府の事業は、過去数年経験を重ねてきたが、いっこうに成果が挙がっていない。』
『無理に政府の仕事を増やして、せっかく有能な人間を採用しながら、無駄な仕事をさせておくのは、つまらぬ話といわねばならない。』
『今ここに集団強盗が現われて、ある人の家に押し入ったとする。その時、政府がこれを見ながら、制止することができなかったら、その無責任な政府は、盗賊の仲間と同罪だといってよろしい。..(政府が)人民に損害を与えるようなことがあれば、その被害額の多少にかかわらず、またその出来事の新旧を問わず、政府は必ずこれを弁償しなければならない。』
北朝鮮による日本人拉致のことか。
しかし反政府というわけではない。役人は嫌いだが、日本は愛していたのだろう。
『国民たるものは、ふだんからよく注意して、政府のすることを監視し、不審な点があったら、懇切に忠告を与え、遠慮なく丁寧に論議を尽くすべきである。』
『およそ世の中に、随分安上がりな取引がある中でも、わずかな税金を払って、政府の保護を買うことぐらい格安な買い物はなかろう。...筋の通らぬ金ならば、一銭でも惜しむのが当然だが、道理上出すべき金で、しかもごく格安なものを買う金であれば、考えるまでもなく、気持ちよく税金を出すのが当然ではないか。』
私塾である慶應義塾を自慢して、塾生を勧誘しようとしてないか?
『ただ、わが慶應義塾の同士だけは、この憂慮すべき事態を免れ得て、多年独立の面目を全うしている。』
『すべて仕事をするには、ただ人に命令するより、理を説いて聞かせるにしくはない。ただ理を説いて聞かせるより、自ら実行して見せる方がさらに効果がある。ところが政府というものは、一片の命令をくだす力しか持っていない。これを人民に説いて聞かせ、さらにこれを実行してみせるのは、民間人の役目である。』
学者+役人にはとことん手厳しい。
かりにも自らひとかどの学者と名のって、天下の問題を論ずるほどの人間に、全然芸無しの無能力者があるはずはない。身につけた専門の能力で世を渡るくらいのことは朝飯前ではないか。役人として政府の仕事を扱うのも、民間で独立の事業を経営するのも、その難易に相違のあろうわけはない。万一役人の方が仕事が楽で、収入も民間の事業より割がいいというならば、その収入は、本人の実際の働き以上の不当利得といわねばなるまい。不当な利得をむさぼるのは、紳士としてあるまじきことだ。なんの取り柄もないくせに、偶然の幸いによって役人となり、いたずらに高給をむさぼって、贅沢の費用にあて、口先だけで天下国家を論ずるような手合いは、もとよりわれわれの知己とする資格はないのである。
いいぞ。諭吉。
理想を掲げ、近代文明を完全肯定するその姿勢は清々しい。
現代の文明は、過去の世界中の人類が一つになって、その古人全体がわれわれ現代人に譲り渡してくれた遺産なのである。...今から数十年後の文明の時代になって、その時代の人間が、先輩たるわれわれの恩恵に感謝すること、あたかも今日のわれわれが過去の先覚者に感謝するごとくにあらしめなければなるまい。
明治維新直後の日本の知識階級が何を考えていたかを知るための史料として、または、100年前から日本人は進歩していないことを思い知るためなら一読しても良いかな。
現代語訳があるので、手軽に読むならこちらの方がオススメ。
学問のすすめ―現代語訳