仰臥漫録
仰臥漫録
近代俳句を確立した正岡子規の病床記です。
長年肺結核を病んでいて、晩年になって寝たきりになってしまい、病床で書いた日記です。
1902年(明治35年)に36歳で亡くなっています。
寝たきりの病床は気の毒ですが、見舞客が多く、経済的にも不足していないため、悲惨さはないです。
なにより子規は明るい性格だったらしく、前半は内容におかしみがあり気軽に読めます。
つくつくぼーし明日なきように鳴きにけり
谷川の岩に激するやうな涼しい処の岸に小亭があつてそこで浴衣一枚になつて一杯やりたいと思ふた
黙然と糸瓜のさがる庭の秋
筆も墨も溲瓶も内に秋の蚊帳
しかし後半、病がだんだんと重くなってくると、痛みの描写が多くなり、読んでいるのがつらくなります。
途中まで、健常人でもこんなには食べないだろうという量を食べているのですが、だんだんと食が細くなっています。
昨日も今日も夕飯食わぬ内にはや眠たき気味あり
この模様にてはやがて昼も夜もうつらうつらとして日記書くのもいやになるやうな時来らんかと思ふ
このこと気にかかりながら午飯を食ひしに飯もいつもの如くうまからず 食いながら時々涙ぐむ
五日は衰弱を覚えしが午後ふと精神激昂夜に入りて俄に激しく乱叫乱罵するほどに頭いよいよ苦しく狂せんとして狂する能はず独りもがきて益苦む
スゴイのは、死への恐怖を綴った箇所が見あたらないことです。
一番凄絶なのは、痛みに苦しんでいる時、たまたま看病してくれている母と妹が居なくなった際に、枕元の小刀と千枚通しを凝視して自殺の衝動に駆られているところです。それまで病床でも明るい表現が多かったのに、子規の闇をかいま見ることができました。
死期を悟った子規が母と妹に料理を振る舞う箇所が良かったです。
明日は余の誕生日にあたるを今日に繰り上げ昼飯に岡野の料理二人前を取り寄せ家内三人にて食ふ。これは例の財布の中より出でたる者にていささか平生看護の労に酬いんとするなり。けだしまた余の誕生日の祝いをさめなるべし。
そうして諦念の境地にでも至ったのか、葬式や墓石について書き綴っている箇所が同情を誘います。