蒲団・重右衛門の最後(田山花袋)


蒲団・重右衛門の最後
本書は「蒲団」と「重右衛門の最後」の2作品を収録している。



文学作品としては「蒲団」が有名である。

自らをモデルとして、若い女弟子に恋い焦がれる中年男の煩悶を赤裸々に描写している。

中年男としては身につまされますな。





しかし、もう一つの収録作品の「重右衛門の最後」の方が読後感は深い。



作者である「自分」が信州の山奥にある友人を訪れて、見聞したことの記録という形式である。



主人公の重右衛門は、生まれつき腸が下がっていたため、睾丸部が大きいという障害があった。走っても遅く幼少時から周囲にからかわれていた。

ずっとそれを気にしていたため、強い劣等感を持ち、長じて後は世を拗ねてしまう。

素封家であった生家を放蕩を尽くして潰してしまい、罪を犯して刑に服してからは、村中をたかって歩き、迷惑をまき散らしている。

強がりを言うのは、虚勢を張ることでしか自分という存在を見つけることができないからである。

ただ酒をあおりながら、周囲を罵ることしかしない。



「...何が...この村の奴等...この藤田重右衛門に手向かいするものは一人もあるめい。こう見えても、この藤田重右衛門は...」

と腕でも捲ったらしい。

「何も貴様が豪(えら)くねぇと言いやしねえだア、貴様のような豪い奴が、この村にいるから困るって言うんだ」

「何が困る...困るのは当たり前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々(わざわざ)困るようにして遣るんだ」



完全に身を持ち崩す前、周囲に借金を重ねていた頃、重右衛門が近郷の成金へ借金を申し込みに行ったときは、親身になってくれた相手に感動して涙を流している。

一念発起して上京することを薦められ、そうするなら力になってやろうと言った成金に対して嗚咽混じりに答えている。

これが重右衛門の本心かと思われる。極めて身勝手であるが、哀れである。



「難有い(ありがたい)[ママ]、そう仰って下さる人は、貴郎ばかり。決して...決して」と重右衛門は言葉を涙につかえさせながら、「決して忘れない、この御厚恩は!けれど私ア、駄目でごす。体格(からだ)さえこうでなければ、今までこんなにして村にまごまごしているんじゃ御座せんが...。私は駄目でごす。」と又涙をほろほろと落とした。



後日、泣かれた成金が周囲に漏らしている。



あんな弱い憐れむべき者を村では何故あのように虐待するのであろう。元はと言えば気ばかり有って、体が自由にならぬから、それであんな自暴自棄(やけ)な真似を為るのであるのに...



しかしその後の重右衛門は、一層周囲に疎まれることになる。

捨てられていた少女と同棲するようになるが、少女も野蛮な性格であり、地域にとけ込もうとせず、厄介者扱いを受ける。

ついには放火を繰り返すようになり、火事となった家で手伝い酒をあおりながら、憎まれ口を叩く。そのうちに、事故に見せかけられて殺されてしまう。

少女が一人で重右衛門を送った後、村を大火が襲い、一切が灰燼となった中で、少女の焼死体が見つかる。



それからもう七年になる。(村人が自分を訪ねてきて)「..あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの自分より富貴に為っただ」と言った。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がおりおり香花を手向けると言うことを自分に話した。



日本人は、犯罪者や敵であっても、死して後は霊を慰め、菩提を弔う。

極悪人であったるから、強大な敵で在ったから、死して後は鬼神となって祟ることを恐れ、まつり立てるのだ。



殺した重右衛門の葬儀すら面倒を見ずに、少女一人で荼毘に付させておきながら、未曾有の大火の後は、二人一緒に墓を建ててやったというのは、一層の祟りを恐れたからだろう。