たとえ便利な道具であったとしても


僕は生来丈夫にできているらしく、ほとんど医者にかかったことがない。

入院したのは中学2年の時に盲腸の手術をしただけだし、通院したことも数えるほどしかない。

3年前に激務とストレスで胃潰瘍になった時は、医者に行くのが実に20年ぶりだったので、病院へ電話して何を持って行けば良いのか訊いたぐらいだ。

体力視力聴力ともに問題なく、日常生活を送る上で支障はない。

だから、病弱な人の気持ちを分かろうとすること自体がおこがましいと思う。

身内も健康優良が揃っているため、障碍を持つ身内がいる人の気持ちを理解するのは難しい。



最近、薦められて、自閉症の子供を持つお母さんが書いたエッセイを読了した。


たとえ便利な道具であったとしても―自閉症のわが子へ母の揺れる想い



「お子さんは、あなたのことを『お母さん』と認識していません。

お母さんのことを恐らく

『便利な道具のひとつ』

としか思っていないでしょう。

発達テストと診察の結果、息子さんは知的障害を伴う自閉症です」


若いうちは、泣いている赤ん坊はうるさいだけだったし、すぐ近くで子供が遊んでいるのがうとましかった。

でも自分に子供が生まれると、泣いている赤ん坊を見ると微笑んだり、遊んでいる子供を見るのが楽しいと思うように変わってしまった。


そう変化した原因はハッキリしている。


自分の子供を持つことで、赤ん坊を連れている親の気持ちを理解できるようになった。

遊んでいる子供を見て、自分の子供と重ね合わせることができるようになった。


それは他人と共感できる範囲が広がったということだ。


本書を読んで、痴呆になってしまった祖母のことを思い出した。

母が若くして他界した後、大学を卒業して実家に還ってきた僕の身の回りの世話を焼いてくれていた。

しばらくして僕が結婚して娘が生まれ、すごく喜んでくれた。

その直後から痴呆の症状が出始めて、赤ん坊のひ孫が目の前で泣いているのに、ニコニコと笑って見ているだけになってしまった。

それから痴呆が急激に進み、介護できる状況でなかったので、老人病院へ入院することになった。

徘徊する老人を閉じこめるために外から鍵がかかっている老人病院へ見舞いに行くのだが、知性を失った目は僕のことを孫だと分かってなかった。

悲しくてやりきれなかった。


エッセイを読み祖母の思い出とリンクしたことで、障碍をもつ人が騒がしくても疎ましいと思うことは減ると思う。

共感は無理としても、排除せず理解しようとすること。

積極的に関わることはできなくても、障碍を持つ人を社会の一員として認めること。

そうした思いを持った。